福光焼 / 河本賢治 -かわもとけんじ-(1955年生) 1970年 中学卒業後、生田和孝に師事 |
−15歳で弟子入りしますがきっかけは?
中学時代、陶芸クラブに所属していて生田和孝と会う機会があり、その時に生田和孝という人間にあこがれ、人柄にほれ込んだのがきっかけですかね。もともと陶芸など物を作るのが好きでしたから。
−弟子入りしてつらいことはなかったですか?
特につらいことはなかったですが、親元を離れての生活でしたからさみしいと思ったことはあります。生田和孝は子供がいなかったこともあり、わが子のようにとてもかわいがってくれました。
−陶芸家の修行は当時どのようなことをしていたのですか?
生田和孝の元で一緒に陶器を作る作業を手伝いながら、師匠の作業見て勉強していました。
ある時、一緒に修行していた先輩とロクロを使って夜なべして陶器を作ったことがありました。次の日の朝、見ると作ったものが全て粘土の塊になっていたこともありました。(笑)師匠は陶芸に関してはとても厳しかったです。
−師匠から教わった技術はなんですか?
陶芸に関すること全てですが、特に器の面を剥ぐ「面取り」や器の内外に溝をつける「しのぎ」は師匠から見て学びました。今も「面取り」や「しのぎ」はやりますが、やる人によって微妙に違うモノなので師匠のモノとは少し違います。
−小さい頃はどんな少年でしたか?
魚取りが大好きで、またいろんな物を作ったりすることも好きでしたね!
−趣味は? −好きな映画は? −好きなアーティストは? |
−生まれ変わるとしたら何になりたいですか?
鳥になってみたいですね。大空を自由に飛んで好きな所にいってみたいです。
−今後の夢は?
陶芸家として今後、登り窯の本当の力が現れるような作品に挑戦してみたいですね。具体的には釉薬をかけないで土だけで陶器を作ってみたいです。縄文時代の先人が作った素焼きの土器のような陶器を一度作ってみたいと思っています。
−座右の銘は?
"あきらめないで(NEVER GIVE UP)"
弟子の頃、火の番をしていた時に眠くなってしまい「ここであきらめて、やめたら全てが終わる」と思って頑張ったことを今でも自分に強く言い聞かせています。何事も"あきらめないで"と。
−最後にメッセージを
息子が陶芸をやり始めたので自分の技術を息子に伝えて、私は自由な創作を行ってみたいです。息子もこれで「私と同じ土俵」に上がったので同業者のライバルとして今後は競い合って行きたいです。陶芸には"これで終わり"というものがないのでこれからも、もっともっと腕を磨いていきたいと思っています。
(完)
2,000円(税込)
徳利
3,500円(税込)
ぐい呑
1,500円(税込)